Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
ナポレオンなのに戦争に弱くて内政に強かったのが面白い時代が違えば優秀な為政者になれた気がする
パリの下水道整備とかもこの人だった気がする
ナポレオン2世が皇帝になってその下で働いたら有能な宰相として歴史に名を残したかもね
パリの都市整備とかもこの人の時代だったきがする
ナポレオン三世は確かにどの戦争に於いてもパッとしなかったが、内政に於いてはとても優秀で、英国に遅れを取っていたフランスを近代化させ、パリを改造して今のパリの原型を作った。なので愚帝という評価には違和感を覚える。ナポレオン一世に比べたら三世は愚帝かもしれないが、普通に優秀な人物。皇帝民主主義を唱えて国民のための皇帝を目指した。個人的には一世より人間味のある三世の方が好きだ。
完全に同意✋
「男には負けるとわかっていても戦わなければならない時がある」ハーロックが言うとカッコイイのにな
ナポレオン3世を少し弁護してあげると彼はフランスに来た徳川昭武(徳川慶喜の弟)が自分の息子と同年配だという事で非常に親切にしてくれたそうです。
失敗しても何度でも挑戦する姿勢と、1対1のコミュニケーション能力が高そうなところ、労働者に対して手厚いところを鑑みると、今の時代に産まれてきちんと教育を受ければ経営者として上手く生きれそうなんだけどなぁ。
後は有能な 参謀ですね
従業員には優しいけど破綻した山一証券みたいな感じになるんじゃない?w
諦めずに何度も挑戦する姿勢は、ナポレオン1世と全く同じ生き方なんだよね。
@@MUSASI40 あー、なんとなく思ってたけど、劉邦と被るんだよなナポレオン三世。「張良が居なかった劉邦」ってこんな感じだったかもな。なお蕭何は途中で切った模様。
内政頑張ってるし、絶対勝てないと分かっても戦地に赴く愛国心もある「ナポレオンの子孫」でなければ十分名君の範疇だった気がせんでもない
富の分配を理解するなど賢いはずなのに失敗から何も学ぼうとしないなど残念なところが多いね。しかしこの激動の時代を生き抜く精神力は本当に凄いと思うわ。
初代が比較対象になってしまうのも悪いっちゃ悪い内政面はそれなりに頑張ったんだけど、人々が『ナポレオン』の看板に求めたのは強いフランスだったんですなぁ・・・
「ヘヘ……面目ねぇっ」
でも本人がそのナポレオンの金看板を利用しとるから、求められるものが高いのもしゃーない
ナポレオン三世時代の発展したパリで、留学した徳川慶喜の弟の家臣として長く過ごした若者が、生きた資本主義経済を学び、明治になって日本経済の発展に貢献した。その名は渋沢栄一。
一昨年の大河ドラマ「青天を衝け!」
パリ大改造とか奥さんのウージェニー皇后とルイヴィトンを見出してスポンサーになったりと良い点がないわけでもないんだけどナポレオンの名を使うわりには軍事外交面ではしくじってばかりやったから良い評価がされるのは難しいだろうな。落ちたり上がったりでこち亀の両さんのような人生にも見えました😁
男と女が二人で歩いていて、木や家屋の向こう側を通り抜けた。通り抜ける前にSieと呼び合っていたのが、通り抜けた後に呼び方がduと変わっていたら、こちらから見えない間に二人はファーストキスをしたのである、‥‥という大変わかり易い話を大学時代の第二外国語の講義で聞き、感心して仏文の女の子に話したら、「あら、フランス語にも敬称はありますよ」と言われた。こちらはキスどころか手も繋いだことはなく、その時聞いたハズのフランス語の敬称も忘れてしまった。が、それなりに大国だったフランスのナポレオン3世に対して、ロシアのニコライ1世は外交公用語たるフランス語でも絶対に敬称は使わなかったとも聞く。「皇帝は神より選ばれたのであり、選挙で選ばれるものではない」との言い分だったのだとか。結構周り中の国々(の王族)から、そんな「軽い」感じで見られていたらしい。そんなことを言ったら1世だって選挙で就任した皇帝なのだが、あっちはとにかく戦争には強かったから敬称だったんだろう。直系のライヒシュタット公なんかとは違い、ナポレオン3世にはこの辺のコンプレックス?が常につきまとっている様に見える。第二帝政と言うと何というか、イメージが我が大正時代に似ている。庶民層までの文化の浸透による華やかな繁栄と、それに伴う猥雑さや妖しさ。ユーゴーやゾラ、デュマの様な口うるさい「文化人」らをはじめ国民一般が「ボナパルトはフランスの英雄だった。それに比べてあの3世は」と一々うるさく、何かと大変だったろうとは思うのだが、大統領くらいまででやめておけば外交(は内政の反映なのだが)でもあんな無理はしなくても済んだのではないかとも思う。クリミア戦争やメキシコ革命、普仏戦争の経緯を見ると、そう思う。もっとも、ナポレオン3世と言う人も、小賢しい策士と言うイメージが強く、当時のパリにでも生まれていたらユーゴーやデュマによる批判に大喜びしていたのかもしれぬ。
フランスの歴史を高校で学んだ時もこの人なにがしたかったんだろ?と思った今日もまた同じ思いを抱いた青春を思い出させてくれてありがとうナポ3
ナポレオン3世で1時間語れるUP主ってすごいと思う
動画を聞くまでそう思っていたけど、なかなか複雑で多彩な人ですよね…
Thanks!
何度失敗しても、諦めないのは英雄の必要条件だよなぁ。最終的に成功すれば英雄となるわけだ。この精神力は、やっぱりすごいこれだけうまくいかないと、普通は自己否定しちゃうのに、諦めないというだけで、すごい。
金に困ることがなかったから、何度失敗しても大して反省もせずチャレンジできたという見方もできるけどね。
何だかんだでフランスが世界の文化の中心まで登りつめたのは第二帝政期なんだよなあ
フランス史解説が終わったらそろそろドイツ史解説が始まるだろうし、ビスマルクの動画とかまじで楽しみや、、、
ナポレオンを徹底的に研究して強くなったドイツ参謀本部の活躍。これは胸アツですね。
ビスマルクは熱いね
ヒューラー「ヌッ」
果たしてちょび髭の時代をどうするかですね…
流石にビスマルクや大モルトケらと渡り合うのは常人では無理がある
あの勃興期のドイツの強さは凄い。ナポレオン以降のフランスのやられ役感。。。
チート続きゆえに全ヨーロッパから警戒されグレートウォーでフルボッコされるドイツ
同じ皇帝でも徽宗やこの後に出てくるドイツのウィルヘルム2世の方がより政策が暗愚な感じがあるからそこまで無能とは感じないなぁ
パリ改造、国内の近代金融機関、鉄道インフラの整備など、「内政」において目を見張る功績がある分、一概に評価しづらい難しい人物ですね。
解説でもちょっと触れられているように、インフラ整備・金融制度整備と言った経済政策は時期を得ていて、しかも、ナポレオン3世自身が先導してますから、無能というのは無理があるんですよね。その分、外交は失敗続きなんですが、単純な暗愚と言うより説明不足で同時代人にも意図がつかめず、かつ、見込みが外れたという感じ。
反骨精神が強いパリジャンを相手にうまくやった方ではあるが、対ドイツは相手が悪かったな。フランス軍もシャスポー銃とかミトラィユーズとか要所要所の技術はあるんだけど、運用が体系化されてないというか…
@@essauouo5251 ユゴーに加えてマルクスなんかもパリコミューン潰されただけじゃなくて政策的に先手打たれて憎さ100倍になってる感。
総合で見ればそこそこ有能な人だと思います、ただ国民が求めていたのはある種神格化された伝説の英雄ナポレオンだったってところがね
西郷隆盛はナポレオン1世を尊敬していたが、ナポレオン3世の失意の死については「国家を冒険の材料に使い、無名の師(いくさ)を起こした者の死は常にそのように酬われる」と評したという。正当な評価と言えるが、この評論の3年後に西郷は西南戦争を起こしてしまうのが歴史の皮肉であろう。
西南戦争については武士が勝手に始めた感じだから……
西南戦争は西郷隆盛が起こした訳では無い。
@@k.a.6724それを考慮してもナポレオン3世同様しくじった事に変わらないでしょう。
西郷隆盛って政府の強さを教えるためにやったって説あるんでしょ?
ナポレオン3世も世論の圧力あったからな
明君と暗君と言う評価だけで分けれる程、人間の業というのは浅くないとは言え、これ程評価に困る人物もそうは居ないですね...人に流されやすく、他人からの評価を誰よりも気にしていたというのが何よりも伝わってくるようだ。そしてナポレオンと言う名前に負け続けていた事に多大なコンプレックスを感じていた事でしょう。後年の負け戦乱発はおそらくその裏返しなのでしょうね。本人的には「ここで奇跡を起こせれば私こそがナポレオンとなる」ぐらいの気概で挑んだのでしょうが、現実はそう甘くはないのですなー。起きないから奇跡。それを起こして見せるのが器というもんです。ナポレオンと言う名前に生まれなければ...と思わずには居られない人物でしたね。
最後のフランス皇帝のこのナポレオン3世も退位させられて、その後も帝位継承権持つボナパルト家は存続しているし、最後のフランス国王だったルイ・フィリップ1世も退位後、フランス王位継承権持つパリ伯ブルボン家も存続しているし、今後フランス国民が望めば、どちらも復古可能ではあるが・・・。
タイトルワロタ、たぶん平穏な時代なら無難に統治してそこそこ優秀な為政者扱いはされただろうに同時代のビスマルク、ディズレーリとかいう桁違いの天才たちにお手玉されたのがかわいそう。
どこか嫌いになれない
ソルフェリーノの戦いの際、自らの事業への支援を取り付けるためにナポレオン三世を一人の人物が訪れておりました。彼は、この凄惨な戦いにおいてフランス、ハプスブルグ両軍の兵士が粗雑に扱われているのを見て憤り、『ソルフェリーノの思い出』という一冊の本にして世に広めました。この本を執筆した人物の名はアンリ・デュナン。国家間、敵味方関係なく救護活動を行う団体「赤十字」を創設した人物なのです。
パリ万国博覧会で赤十字のブースに感銘を受けて後に日本赤十字社を興したのが佐賀藩の佐野常民。
@@Kotchan66 創設した直後に会津磐梯山が大噴火して、多数の死傷者が出た事を知ると直ちに現場に駆け付けて救護活動を開始。この一件で「赤十字」は戦場だけでなく災害現場でも救護活動を行うようになった。
超スパルタ教育で歪み、色事にハマり、一族の名前に圧し潰され、無謀な戦に臨み、領地を失う…これだけ聞くと、毛利輝元のようにも聞こえる。
タイトルが秀逸
憎めない人ですね(笑) 評価が低いと言っても、この人を選んだのも、軍拡を拒否したのも、その後何度もプロイセンやドイツに負かされ続けるフランスにしてしまったのもフランス国民自身。なんかフランスそのものと言ってもいい人なのかも知れない、などと思ってしまった。
内政の人としてならとても評価できたと思う。軍拡を考えていたりけしつ未来が見えなかったわけでもないだろうし、本当に評価に困るお人よ
なぜか憎めない歴史上の人物ランキング上位
パリの四方山話が出ると必ず3世が絡むんで自分もそんな悪く見れない。
一昨年の大河ドラマ「青天を衝け」にも出てた。幕府の慶應遣欧使節団がナポレオン三世の宮廷で拝謁するシーン、板垣李光人くんの徳川昭武が衣冠束帯で、吉沢亮くん演じる主人公の渋沢篤太夫が末席に連なって素襖姿(農民から一橋家陪臣そして直参旗本になって日が浅かったので)だったのは記憶に残っている。
ホノリウスやあの15世を下回るのかと思って見てたら思ってたよりは光る所のある人物で驚いた確実にしくじり属性の人ではあるけどプロイセンとの開戦とかは国民やマスコミにも非はあるし暗君とまではいかない気がする
16世とは毛色は違うけど、(3世の皇帝民主主義とか)民衆を大事にしようとして、逆にその民衆から引きずり降ろされる感じの様なところは似ているかも。
従来の愚帝的な評価はあまりに不当だと思うんだけどなぁ…
「三世で成功してるのはルパンだけ」説が好き(笑)
アレクサンドロス大王は3世
UK現国王に期待ですね
日本史に限っては3代目で栄華を極める例はそこそこあるんですけどねぇ
アジアだと普通に成功例多いんだよなあ…
ヴィルヘルム三世😭
この時代のフランスで成功者になるのは、ハードルがあまりにも高すぎる…。
フランスの命運は、アメリカ独立戦争に協力した時点で決まっていた・・・・かろうじて国の体裁が保てた情勢で、国が傾く位アメリカに援助したからな
ドイツにビスマルク・モルトケという英傑がいたのも運の尽きでしたね・・・
「カエサル」を目指した伯父のナポレオン・ボナパルト、甥にあたる自分を「アウグストゥス」に準えてフランスの覇権を目指していたのかもしれませんね。彼にとって「アグリッパ」がいれば、少なくともここまで酷い大敗は無かったかも…。
労働者の保護や貧困対策、パリ大改造に万博開催、交通インフラの整備など内政は割とちゃんとできる人やったから有能な外務大臣、陸海軍大臣、元帥等がいてプロイセンの台頭をなんとか抑えれていたら後世の評価も違ったかもしれませんね。
功績もあるんだろうけどイマイチ感の拭えない人物ですね産業革命の完成のほか、貧困対策や言論の自由度のあたりをどう評価したものかマスコミが煽った世論に負けて戦争に突き進むあたりも悲劇と捉えるか自業自得と見るかで評価が分かれそうです
叔父と違って文民政治家としてはなかなか才能を見せてると思うがね。産業革命や万博、なんといってもパリ改造はなかなかの行動力がなけりゃ無理な気がするよ。女好き、外交下手ってのはその通りだと思うけど。
なんかディスられがちなのは叔父の名前が偉大すぎるからなんだろうな
たまたま成功しなかっただけでどうかしたら英傑になってたかもって思った。初代と違うのは腹心の差。残念だけどなんか暗愚とは違うような…
大衆はいつの時代でも英雄や救世主の出現を夢見ているんだな
名前だけで自分の能力を超えた地位につくとどうなるかを教えてくれた男しかし隣国のドイツヴィルヘルム二世はそれを学ばず、名前で軍の参謀総長を決めてしまったね…
バターの代用品としてマーガリンを普及させて、それが現代にトランス脂肪酸の元だと批判されるとは思いもよらないだろうなぁ
『英雄色を好む』って格言がいかに当てにならないかの好例
ナポレオン三世「英雄色を好む。我は色を好む。故に我は英雄である。QED」
そもそも余に辞書すら無い
それだ
叔父の威光を傘に着た我欲の権化で叔父が嫌う無能な味方はあったけど、無責任に声を荒らげる民衆には抗えず普仏戦争では君主として詰腹を切ったんだし、無能ではあっても暗君だったとは思えない。
よくわかんねぇけど前向きなのは見習いたいと思った
藩にもよるが、当時の日本って識字率は高い方だったんだな
幕末から明治半ば頃の日本の識字率はおよそ70%余りと、ヨーロッパより遥かに識字率が高かった。ちなみに、当時のヨーロッパの識字率は20%弱で、特に平民階級の識字率はゼロに近かった。その為、日露戦争の時に「日本人」が「ロシア人の捕虜」に「ロシア語の文字を教える」というぶっ飛んだ事態が発生していた。
まあ、「知恵」は悪魔の誘惑で得た禁断の木の実。無知であるほど神の近くにいるって文化と、レスバ大好き鎌倉新仏教の文化の違いだなw
長谷川哲也先生の獅子の時代や覇道進撃を読むとナポレオン時代がよくわかります。漫画だから誇張もありますが…とにかく面白いです。
44:33 これは皇帝菩薩。宇宙大将軍もニッコリ。
ナポレオン3世こそフランスを象徴する人物だと思います
現代のパリを作った人だからその意志が市民に国民に通底しててもおかしくないっすよね。
こうして見ると、今パリで起こってる暴動は、フランス史上何度も起きてることの一つで、もう少し大きくなって明確な先導者、団体がいれば蜂起、更に規模が大きくなって政権がひっくり返れば革命なんだなw
ただ今のフランスの南東海岸部がフランス領なのはナポレオン3世の時代だからねまープロイセンにまけて最後の授業になったからそれすらプラマイ0か
ニース、サヴォワをサルディーニャ王国(もうイタリア王国になってたかな?)から割譲されましたから。
ナボレオン3世待ってた!
2021大河ドラマでフランスに渋沢栄一が留学して徳川昭武のナポレオン三世謁見をサポートするところが放映されていた時、主人公がフランスと幕末日本を比較して劣等感に落ちいっている印象でしたが、君主個人としてはナポレオン三世より徳川慶喜の方が賢明だったかもしれませんね。どちらにしても150年以上まえに国家のために奉仕しようとする姿勢がみられる時点で小生はどちらの君主もリスペクトします。
でも今の美しいパリを作ったのもナポレオン三世
それまではクッッソ汚かったらしいすね
オスマンという能吏のおかげ。
まさに文字通りな感じだったんでしょうね
都市計画の実現には独裁者が必要
@@kirolisation (戦後の)東京というのはある意味最も民主的に開発された都市なのかも・・・
普仏戦争でフランスがプロイセンに勝っていたのは小銃(シャスポー銃)ですな
でもこの人からもらった軍服を徳川慶喜は喜々として着用してるんだよなぁ😂
どちらも幼少期は厳しく育てられてイケメンで押し出しが良くて期待されて戦に弱くて……似た者同士
ケイキの弟である節公民部卿昭武も渡仏中は3世の世話になりましたなあ~
シャム(現タイ)のラーマ4世モンクット王も同じです。
皆様深い見識をお持ちで、勉強になります。ありがとうございます。
オルセー美術館に残ってる息子が可愛い。
この人が取り上げられる度に想起するのがパリ万博と幻の幕府借款問題そして最後の水戸藩主節公民部卿徳川昭武ですなあ~
面白かった!ウジェニー皇后に触れる暇もないくらいしくじりなオッサンだったwそしてビスマルクもある意味未来に対してしくじってたんだな
普仏戦争時にはプロイセン(北ドイツ連邦)が持つゲーベル銃は陳腐化していて、フランスが持つシャスポー銃の方がより優位だった でも砲兵、動員力など根本的な戦争立案が圧倒的に劣後していて、それを認識できなかったところにナポレオン三世の限界が見えると思います
「俺は豊かでありたいしお前らも豊かになってほしい」みたいな
43:06 国務院といえば旧満州国における日本の内閣に相当する機関を思い起こしますが、ナポレオン三世期のフランスでは日本の内閣官房を拡大強化したもののようですね。52:34 ナポレオン三世にしてみればイタリア統一はオーストリアとの緩衝国作りという面も否定できませんね。もっともプロイセンという眠れる獅子を起こしてしまいましたが。
フランス内でしっかりした政治勢力もててたらもっと上手くできたんじゃないかなぁ…
パリ改造計画は確かに良かった。
ナポレオン3世が皇帝になるまでに45分もかかってる😂
内政面はまだしもエムス電報事件に戦争劇弱とか
よく知らなかったけど複雑かつ多彩な人間ですね。ところで何度となく出てくるイタリアの近代史やって欲しいです。
…まあ、図書館いって入門書読んでみ。正直禿るぞ。諸外国の圧力やら国内の派閥争いやら地域紛争やらローマ法王庁の暗躍やら、でこんがらららららららららrrrrrr、になるから。それをどう料理してくれるか、は楽しみではあるがな(無茶振り)。
@@相生藍生 禿げたくないから俺のさんオネシャス!しかしこの方だと「イタリアにも住んでいたクロマニヨン人」あたりから始まりそうですね。
実はNHKの大河ドラマに登場したことがある。
一昨年ですね。
この時間で行くしかないおれは好きだぁ!
政治家や君主としては有能とは言いがたいけど、女好きだったり貧困に心を痛めるところは人間臭くてどこか憎みきれないところはあるよね。
初っ端から暗君のテーマが流れる時点でお察し人物が来ましたねしかしナポレオン3世の無能さより皮肉にもナポレオンと同じ様に世論を操ったビスマルクの有能さが際立ちますねビスマルク回に期待が高まります!
でも当時の政府がそのビスマルクの政治体制を参考にした所為で、大日本帝国憲法という日本人の自力での民主化を不可能にしてしまった悪システムが産まれてしまったというね(その後治安維持法で止めを刺されたが)…それでもビスマルクを有能とか言うの!?
ビスマルクが怪物すぎる。日本の明治憲法体制にも少なからず影響を与えたから。
やっぱりこの人物事単純化し過ぎなんだよなあ……。「教科書より“ちょっとだけ”詳しい」と言う通りといえば、そうなんだろうけどねえ……。
冒頭から流れる「暗君のテーマ」‥😅
普仏戦争直前のフランスが、真珠湾攻撃前後の大日本帝国の空気と似てるな。
普仏戦争のフランス->第一次世界大戦のドイツ->真珠湾攻撃の日本という繋がりがある第三共和政後期->ナチス・ドイツ崩壊前夜->日本の第三次世界大戦中の第二次日中戦争中(石油枯渇)
日本では割りと好意的に評価されることが多い人物なので、ここまでクソミソに言われてるのはある意味新鮮まあ彼の人間性に興味を覚える日本人はおらず、幕府との外交や帝政期の施策しか見てなかったということなのかもしれんけど
今で言う「ポピュリスト」って感じ国民から人気があって人気が取れるような政策をするけど、冷静に見れば支離滅裂で教養のある層からは嫌われる
名前とは呪いのようなものでしょうね。名前のような人物になれるはずもないのに、その名前に求められる役割を期待されてしまいますから。
ナポレオン三世はスケジュールにうるさいってところで発達障害あるんじゃないかって話聞いたことあるけどこれ見たらたしかにそうだったのかもしれないまあもちろん診断したわけじゃないから決めつけてはいけないけど
パリ改造とかいう世界史に煌めく成果
ひっどいタイトルで草
いわゆる、普通の人だったのでは??自分がその立場だったら、その程度も出来たかどうか。大事だと思うのは、過去の歴史に学ぶこと ですかね。
文字が読めないから名前だけで票が集まる昔のフランス、文字が読めるのに名前だけで票が集まる今の日本。
財産を相続しては女とギャンブルに使いまくったのに、金と女が付いてくるのがすごいっす。息子さんの運までこの人が使っちゃった気がするっす。
内政面は再評価論もあるんだけど対外政策は残念だね
マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で取り上げたのも流石の嗅覚ですね。これほどまでに俗物的な人物が社会主義を権力者の立場としてはじめて取り入れたわけですから、それを徹底的に研究したのも納得です。
ナポレオン3世に勝利したビスマルクもヴィルヘルム2世と対立して失脚しました。
ティエールの見かけが中尾彬ソックリやったw
「ナポレオン」の名を持っていた事が彼を皇帝にもしたけど同時に不幸にもしたんだよね。いや金と女性には一生困らなかったから不幸とも言い難いけどもただ普仏戦争はしょうがないよ。外交はビスマルク、軍事は大モルトケの時代のプロイセンが相手なんて運が悪いとしか…
皇帝と民主主義って、戦前日本の一部が夢見ていた状況じゃないっすか
なんか嫌いになれない人だな
なんか フランスの指導者というのは 当たり外れの振れ幅が大きいよね
ドイツもそうなんだよなぁ
日本には指導者いない気もしますが、、、
軍事を任せられる将軍や参謀が、ダブーやベルティエみたいな人たちがいたら結構な大政治家だったかもしれません。
パリ「ナポレオン三世が来るまではものすごく臭かったんですよ」
世界史でナポレオン3世についてはほんの少しだけしか教わらなかった記憶がある。この動画で彼の「しくじり」や「ある意味での功績」についてだいたい学ぶことが出来たのがよかった。結局彼は「本能的に思いつきで行動する」タイプで「ナポレオン」のネームヴァリューだけで名を挙げているような人物だったわけなのね。
ビスマルクに負けた人だ
ビスマルク「お前が弱いんじゃない。俺が強すぎるだけだ。」
脱獄のエピソードはどちらかと云うとアニメのルパン三世みたい。
皇帝としてやらかしは多いけど悪いやつではない感はある
歴史のチャンネルは数あれど、このチャンネルの深さに敵うチャンネルは、そうそうないでしょうね。
ナ3「私、失敗しかしないんで!」
ナポレオンなのに戦争に弱くて内政に強かったのが面白い
時代が違えば優秀な為政者になれた気がする
パリの下水道整備とかもこの人だった気がする
ナポレオン2世が皇帝になってその下で働いたら有能な宰相として歴史に名を残したかもね
パリの都市整備とかもこの人の時代だったきがする
ナポレオン三世は確かにどの戦争に於いてもパッとしなかったが、内政に於いてはとても優秀で、英国に遅れを取っていたフランスを近代化させ、パリを改造して今のパリの原型を作った。
なので愚帝という評価には違和感を覚える。
ナポレオン一世に比べたら三世は愚帝かもしれないが、普通に優秀な人物。
皇帝民主主義を唱えて国民のための皇帝を目指した。
個人的には一世より人間味のある三世の方が好きだ。
完全に同意✋
「男には負けるとわかっていても戦わなければならない時がある」
ハーロックが言うとカッコイイのにな
ナポレオン3世を少し弁護してあげると彼はフランスに来た徳川昭武(徳川慶喜の弟)が自分の息子と同年配だという事で非常に親切にしてくれたそうです。
失敗しても何度でも挑戦する姿勢と、1対1のコミュニケーション能力が高そうなところ、労働者に対して手厚いところを鑑みると、今の時代に産まれてきちんと教育を受ければ経営者として上手く生きれそうなんだけどなぁ。
後は有能な 参謀ですね
従業員には優しいけど破綻した山一証券みたいな感じになるんじゃない?w
諦めずに何度も挑戦する姿勢は、ナポレオン1世と全く同じ生き方なんだよね。
@@MUSASI40
あー、なんとなく思ってたけど、劉邦と被るんだよなナポレオン三世。
「張良が居なかった劉邦」
ってこんな感じだったかもな。
なお蕭何は途中で切った模様。
内政頑張ってるし、絶対勝てないと分かっても戦地に赴く愛国心もある
「ナポレオンの子孫」でなければ十分名君の範疇だった気がせんでもない
富の分配を理解するなど賢いはずなのに失敗から何も学ぼうとしないなど残念なところが多いね。
しかしこの激動の時代を生き抜く精神力は本当に凄いと思うわ。
初代が比較対象になってしまうのも悪いっちゃ悪い
内政面はそれなりに頑張ったんだけど、人々が『ナポレオン』の看板に求めたのは強いフランスだったんですなぁ・・・
「ヘヘ……面目ねぇっ」
でも本人がそのナポレオンの金看板を利用しとるから、求められるものが高いのもしゃーない
ナポレオン三世時代の発展したパリで、留学した徳川慶喜の弟の家臣として長く過ごした若者が、生きた資本主義経済を学び、明治になって日本経済の発展に貢献した。
その名は渋沢栄一。
一昨年の大河ドラマ「青天を衝け!」
パリ大改造とか奥さんのウージェニー皇后とルイヴィトンを見出してスポンサーになったりと良い点がないわけでもないんだけどナポレオンの名を使うわりには軍事外交面ではしくじってばかりやったから良い評価がされるのは難しいだろうな。
落ちたり上がったりでこち亀の両さんのような人生にも見えました😁
男と女が二人で歩いていて、木や家屋の向こう側を通り抜けた。
通り抜ける前にSieと呼び合っていたのが、通り抜けた後に呼び方がduと変わっていたら、こちらから見えない間に二人はファーストキスをしたのである、
‥‥という大変わかり易い話を大学時代の第二外国語の講義で聞き、感心して仏文の女の子に話したら、
「あら、フランス語にも敬称はありますよ」
と言われた。
こちらはキスどころか手も繋いだことはなく、その時聞いたハズのフランス語の敬称も忘れてしまった。
が、それなりに大国だったフランスのナポレオン3世に対して、ロシアのニコライ1世は外交公用語たるフランス語でも絶対に敬称は使わなかったとも聞く。
「皇帝は神より選ばれたのであり、選挙で選ばれるものではない」
との言い分だったのだとか。
結構周り中の国々(の王族)から、そんな「軽い」感じで見られていたらしい。
そんなことを言ったら1世だって選挙で就任した皇帝なのだが、あっちはとにかく戦争には強かったから敬称だったんだろう。
直系のライヒシュタット公なんかとは違い、ナポレオン3世にはこの辺のコンプレックス?が常につきまとっている様に見える。
第二帝政と言うと何というか、イメージが我が大正時代に似ている。
庶民層までの文化の浸透による華やかな繁栄と、それに伴う猥雑さや妖しさ。
ユーゴーやゾラ、デュマの様な口うるさい「文化人」らをはじめ国民一般が
「ボナパルトはフランスの英雄だった。それに比べてあの3世は」
と一々うるさく、何かと大変だったろうとは思うのだが、大統領くらいまででやめておけば外交(は内政の反映なのだが)でもあんな無理はしなくても済んだのではないかとも思う。
クリミア戦争やメキシコ革命、普仏戦争の経緯を見ると、そう思う。
もっとも、ナポレオン3世と言う人も、小賢しい策士と言うイメージが強く、当時のパリにでも生まれていたらユーゴーやデュマによる批判に大喜びしていたのかもしれぬ。
フランスの歴史を高校で学んだ時もこの人なにがしたかったんだろ?と思った
今日もまた同じ思いを抱いた
青春を思い出させてくれてありがとうナポ3
ナポレオン3世で1時間語れるUP主ってすごいと思う
動画を聞くまでそう思っていたけど、なかなか複雑で多彩な人ですよね…
Thanks!
何度失敗しても、諦めないのは英雄の必要条件だよなぁ。
最終的に成功すれば英雄となるわけだ。
この精神力は、やっぱりすごい
これだけうまくいかないと、普通は自己否定しちゃうのに、諦めないというだけで、すごい。
金に困ることがなかったから、何度失敗しても大して反省もせずチャレンジできたという見方もできるけどね。
何だかんだでフランスが世界の文化の中心まで登りつめたのは第二帝政期なんだよなあ
フランス史解説が終わったらそろそろドイツ史解説が始まるだろうし、ビスマルクの動画とかまじで楽しみや、、、
ナポレオンを徹底的に研究して強くなったドイツ参謀本部の活躍。これは胸アツですね。
ビスマルクは熱いね
ヒューラー「ヌッ」
果たしてちょび髭の時代をどうするかですね…
流石にビスマルクや大モルトケらと渡り合うのは常人では無理がある
あの勃興期のドイツの強さは凄い。
ナポレオン以降のフランスのやられ役感。。。
チート続きゆえに全ヨーロッパから警戒されグレートウォーでフルボッコされるドイツ
同じ皇帝でも徽宗やこの後に出てくるドイツのウィルヘルム2世の方がより政策が暗愚な感じがあるからそこまで無能とは感じないなぁ
パリ改造、国内の近代金融機関、鉄道インフラの整備など、「内政」において目を見張る功績がある分、一概に評価しづらい難しい人物ですね。
解説でもちょっと触れられているように、インフラ整備・金融制度整備と言った経済政策は時期を得ていて、しかも、ナポレオン3世自身が先導してますから、無能というのは無理があるんですよね。その分、外交は失敗続きなんですが、単純な暗愚と言うより説明不足で同時代人にも意図がつかめず、かつ、見込みが外れたという感じ。
反骨精神が強いパリジャンを相手にうまくやった方ではあるが、対ドイツは相手が悪かったな。
フランス軍もシャスポー銃とかミトラィユーズとか要所要所の技術はあるんだけど、運用が体系化されてないというか…
@@essauouo5251
ユゴーに加えてマルクスなんかもパリコミューン潰されただけじゃなくて政策的に先手打たれて憎さ100倍になってる感。
総合で見ればそこそこ有能な人だと思います、ただ国民が求めていたのはある種神格化された伝説の英雄ナポレオンだったってところがね
西郷隆盛はナポレオン1世を尊敬していたが、ナポレオン3世の失意の死については「国家を冒険の材料に使い、無名の師(いくさ)を起こした者の死は常にそのように酬われる」と評したという。正当な評価と言えるが、この評論の3年後に西郷は西南戦争を起こしてしまうのが歴史の皮肉であろう。
西南戦争については武士が勝手に始めた感じだから……
西南戦争は西郷隆盛が起こした訳では無い。
@@k.a.6724それを考慮してもナポレオン3世同様しくじった事に変わらないでしょう。
西郷隆盛って政府の強さを教えるためにやったって説あるんでしょ?
ナポレオン3世も世論の圧力あったからな
明君と暗君と言う評価だけで分けれる程、人間の業というのは浅くないとは言え、これ程評価に困る人物もそうは居ないですね...
人に流されやすく、他人からの評価を誰よりも気にしていたというのが何よりも伝わってくるようだ。
そしてナポレオンと言う名前に負け続けていた事に多大なコンプレックスを感じていた事でしょう。後年の負け戦乱発はおそらくその裏返しなのでしょうね。本人的には「ここで奇跡を起こせれば私こそがナポレオンとなる」ぐらいの気概で挑んだのでしょうが、現実はそう甘くはないのですなー。起きないから奇跡。それを起こして見せるのが器というもんです。
ナポレオンと言う名前に生まれなければ...と思わずには居られない人物でしたね。
最後のフランス皇帝のこのナポレオン3世も退位させられて、その後も帝位継承権持つボナパルト家は存続しているし、最後のフランス国王だったルイ・フィリップ1世も退位後、フランス王位継承権持つパリ伯ブルボン家も存続しているし、今後フランス国民が望めば、どちらも復古可能ではあるが・・・。
タイトルワロタ、たぶん平穏な時代なら無難に統治してそこそこ優秀な為政者扱いはされただろうに同時代のビスマルク、ディズレーリとかいう桁違いの天才たちにお手玉されたのがかわいそう。
どこか嫌いになれない
ソルフェリーノの戦いの際、自らの事業への支援を取り付けるためにナポレオン三世を一人の人物が訪れておりました。
彼は、この凄惨な戦いにおいてフランス、ハプスブルグ両軍の兵士が粗雑に扱われているのを見て憤り、『ソルフェリーノの思い出』という一冊の本にして世に広めました。
この本を執筆した人物の名はアンリ・デュナン。国家間、敵味方関係なく救護活動を行う団体「赤十字」を創設した人物なのです。
パリ万国博覧会で赤十字のブースに感銘を受けて後に日本赤十字社を興したのが佐賀藩の佐野常民。
@@Kotchan66
創設した直後に会津磐梯山が大噴火して、多数の死傷者が出た事を知ると直ちに現場に駆け付けて救護活動を開始。この一件で「赤十字」は戦場だけでなく災害現場でも救護活動を行うようになった。
超スパルタ教育で歪み、色事にハマり、一族の名前に圧し潰され、無謀な戦に臨み、領地を失う…これだけ聞くと、毛利輝元のようにも聞こえる。
タイトルが秀逸
憎めない人ですね(笑) 評価が低いと言っても、この人を選んだのも、軍拡を拒否したのも、その後何度もプロイセンやドイツに負かされ続けるフランスにしてしまったのもフランス国民自身。なんかフランスそのものと言ってもいい人なのかも知れない、などと思ってしまった。
内政の人としてならとても評価できたと思う。
軍拡を考えていたりけしつ未来が見えなかったわけでもないだろうし、本当に評価に困るお人よ
なぜか憎めない歴史上の人物ランキング上位
パリの四方山話が出ると必ず3世が絡むんで自分もそんな悪く見れない。
一昨年の大河ドラマ「青天を衝け」にも出てた。幕府の慶應遣欧使節団がナポレオン三世の宮廷で拝謁するシーン、板垣李光人くんの徳川昭武が衣冠束帯で、吉沢亮くん演じる主人公の渋沢篤太夫が末席に連なって素襖姿(農民から一橋家陪臣そして直参旗本になって日が浅かったので)だったのは記憶に残っている。
ホノリウスやあの15世を下回るのかと思って見てたら思ってたよりは光る所のある人物で驚いた
確実にしくじり属性の人ではあるけどプロイセンとの開戦とかは国民やマスコミにも非はあるし暗君とまではいかない気がする
16世とは毛色は違うけど、(3世の皇帝民主主義とか)民衆を大事にしようとして、逆にその民衆から引きずり降ろされる感じの様なところは似ているかも。
従来の愚帝的な評価はあまりに不当だと思うんだけどなぁ…
「三世で成功してるのはルパンだけ」説が好き(笑)
アレクサンドロス大王は3世
UK現国王に期待ですね
日本史に限っては3代目で栄華を極める例はそこそこあるんですけどねぇ
アジアだと普通に成功例多いんだよなあ…
ヴィルヘルム三世😭
この時代のフランスで成功者になるのは、ハードルがあまりにも高すぎる…。
フランスの命運は、アメリカ独立戦争に協力した
時点で決まっていた・・・・
かろうじて国の体裁が保てた情勢で、国が傾く位
アメリカに援助したからな
ドイツにビスマルク・モルトケという英傑がいたのも運の尽きでしたね・・・
「カエサル」を目指した伯父のナポレオン・ボナパルト、甥にあたる自分を「アウグストゥス」に準えてフランスの覇権を目指していたのかもしれませんね。
彼にとって「アグリッパ」がいれば、少なくともここまで酷い大敗は無かったかも…。
労働者の保護や貧困対策、パリ大改造に万博開催、交通インフラの整備など内政は割とちゃんとできる人やったから有能な外務大臣、陸海軍大臣、元帥等がいてプロイセンの台頭をなんとか抑えれていたら後世の評価も違ったかもしれませんね。
功績もあるんだろうけどイマイチ感の拭えない人物ですね
産業革命の完成のほか、貧困対策や言論の自由度のあたりをどう評価したものか
マスコミが煽った世論に負けて戦争に突き進むあたりも悲劇と捉えるか自業自得と見るかで評価が分かれそうです
叔父と違って文民政治家としてはなかなか才能を見せてると思うがね。
産業革命や万博、なんといってもパリ改造はなかなかの行動力がなけりゃ無理な気がするよ。女好き、外交下手ってのはその通りだと思うけど。
なんかディスられがちなのは叔父の名前が偉大すぎるからなんだろうな
たまたま成功しなかっただけでどうかしたら英傑になってたかもって思った。初代と違うのは腹心の差。残念だけどなんか暗愚とは違うような…
大衆はいつの時代でも英雄や救世主の出現を夢見ているんだな
名前だけで自分の能力を超えた地位につくとどうなるかを教えてくれた男
しかし隣国のドイツヴィルヘルム二世はそれを学ばず、名前で軍の参謀総長を決めてしまったね…
バターの代用品としてマーガリンを普及させて、それが現代にトランス脂肪酸の元だと批判されるとは思いもよらないだろうなぁ
『英雄色を好む』って格言がいかに当てにならないかの好例
ナポレオン三世「英雄色を好む。我は色を好む。故に我は英雄である。QED」
そもそも余に辞書すら無い
それだ
叔父の威光を傘に着た我欲の権化で
叔父が嫌う無能な味方はあったけど、
無責任に声を荒らげる民衆には抗えず
普仏戦争では君主として詰腹を切ったんだし、
無能ではあっても暗君だったとは思えない。
よくわかんねぇけど前向きなのは見習いたいと思った
藩にもよるが、当時の日本って識字率は高い方だったんだな
幕末から明治半ば頃の日本の識字率はおよそ70%余りと、ヨーロッパより遥かに識字率が高かった。ちなみに、当時のヨーロッパの識字率は20%弱で、特に平民階級の識字率はゼロに近かった。
その為、日露戦争の時に「日本人」が「ロシア人の捕虜」に「ロシア語の文字を教える」というぶっ飛んだ事態が発生していた。
まあ、「知恵」は悪魔の誘惑で得た禁断の木の実。無知であるほど神の近くにいるって文化と、
レスバ大好き鎌倉新仏教の文化の違いだなw
長谷川哲也先生の獅子の時代や覇道進撃を読むとナポレオン時代がよくわかります。
漫画だから誇張もありますが…とにかく面白いです。
44:33 これは皇帝菩薩。
宇宙大将軍もニッコリ。
ナポレオン3世こそフランスを象徴する人物だと思います
現代のパリを作った人だからその意志が市民に国民に通底しててもおかしくないっすよね。
こうして見ると、今パリで起こってる暴動は、フランス史上何度も起きてることの一つで、もう少し大きくなって明確な先導者、団体がいれば蜂起、更に規模が大きくなって政権がひっくり返れば革命なんだなw
ただ今のフランスの南東海岸部がフランス領なのはナポレオン3世の時代だからね
まープロイセンにまけて最後の授業になったからそれすらプラマイ0か
ニース、サヴォワをサルディーニャ王国(もうイタリア王国になってたかな?)から割譲されましたから。
ナボレオン3世待ってた!
2021大河ドラマでフランスに渋沢栄一が留学して徳川昭武のナポレオン三世謁見をサポートするところが放映されていた時、
主人公がフランスと幕末日本を比較して劣等感に落ちいっている印象でしたが、君主個人としてはナポレオン三世より徳川慶喜の方が賢明だったかもしれませんね。どちらにしても150年以上まえに国家のために奉仕しようとする姿勢がみられる時点で
小生はどちらの君主もリスペクトします。
でも今の美しいパリを作ったのもナポレオン三世
それまではクッッソ汚かったらしいすね
オスマンという能吏のおかげ。
まさに文字通りな感じだったんでしょうね
都市計画の実現には独裁者が必要
@@kirolisation (戦後の)東京というのはある意味最も民主的に開発された都市なのかも・・・
普仏戦争でフランスがプロイセンに勝っていたのは小銃(シャスポー銃)ですな
でもこの人からもらった軍服を徳川慶喜は
喜々として着用してるんだよなぁ😂
どちらも幼少期は厳しく育てられてイケメンで押し出しが良くて期待されて戦に弱くて……似た者同士
ケイキの弟である節公民部卿昭武も
渡仏中は3世の世話になりましたなあ~
シャム(現タイ)のラーマ4世モンクット王も同じです。
皆様深い見識をお持ちで、
勉強になります。
ありがとうございます。
オルセー美術館に残ってる息子が可愛い。
この人が取り上げられる度に想起するのが
パリ万博と幻の幕府借款問題
そして最後の水戸藩主節公民部卿
徳川昭武ですなあ~
面白かった!
ウジェニー皇后に触れる暇もないくらいしくじりなオッサンだったw
そしてビスマルクもある意味未来に対してしくじってたんだな
普仏戦争時にはプロイセン(北ドイツ連邦)が持つゲーベル銃は陳腐化していて、フランスが持つシャスポー銃の方がより優位だった でも砲兵、動員力など根本的な戦争立案が圧倒的に劣後していて、それを認識できなかったところにナポレオン三世の限界が見えると思います
「俺は豊かでありたいしお前らも豊かになってほしい」みたいな
43:06 国務院といえば旧満州国における日本の内閣に相当する機関を思い起こしますが、ナポレオン三世期のフランスでは日本の内閣官房を拡大強化したもののようですね。52:34 ナポレオン三世にしてみればイタリア統一はオーストリアとの緩衝国作りという面も否定できませんね。もっともプロイセンという眠れる獅子を起こしてしまいましたが。
フランス内でしっかりした政治勢力もててたらもっと上手くできたんじゃないかなぁ…
パリ改造計画は確かに良かった。
ナポレオン3世が皇帝になるまでに45分もかかってる😂
内政面はまだしもエムス電報事件に戦争劇弱とか
よく知らなかったけど複雑かつ多彩な人間ですね。ところで何度となく出てくるイタリアの近代史やって欲しいです。
…まあ、図書館いって入門書読んでみ。
正直禿るぞ。
諸外国の圧力やら国内の派閥争いやら地域紛争やらローマ法王庁の暗躍やら、でこんがらららららららららrrrrrr、になるから。
それをどう料理してくれるか、は楽しみではあるがな(無茶振り)。
@@相生藍生 禿げたくないから俺のさんオネシャス!しかしこの方だと「イタリアにも住んでいたクロマニヨン人」あたりから始まりそうですね。
実はNHKの大河ドラマに登場したことがある。
一昨年ですね。
この時間で行くしかない
おれは好きだぁ!
政治家や君主としては有能とは言いがたいけど、女好きだったり貧困に心を痛めるところは人間臭くてどこか憎みきれないところはあるよね。
初っ端から暗君のテーマが流れる時点でお察し人物が来ましたね
しかしナポレオン3世の無能さより皮肉にもナポレオンと同じ様に世論を操ったビスマルクの有能さが際立ちますね
ビスマルク回に期待が高まります!
でも当時の政府がそのビスマルクの政治体制を参考にした所為で、大日本帝国憲法という日本人の自力での民主化を不可能にしてしまった悪システムが産まれてしまったというね(その後治安維持法で止めを刺されたが)
…それでもビスマルクを有能とか言うの!?
ビスマルクが怪物すぎる。日本の明治憲法体制にも少なからず影響を与えたから。
やっぱりこの人物事単純化し過ぎなんだよなあ……。「教科書より“ちょっとだけ”詳しい」と言う通りといえば、そうなんだろうけどねえ……。
冒頭から流れる「暗君のテーマ」‥😅
普仏戦争直前のフランスが、真珠湾攻撃前後の大日本帝国の空気と似てるな。
普仏戦争のフランス->第一次世界大戦のドイツ->真珠湾攻撃の日本という繋がりがある
第三共和政後期->ナチス・ドイツ崩壊前夜->日本の第三次世界大戦中の第二次日中戦争中(石油枯渇)
日本では割りと好意的に評価されることが多い人物なので、ここまでクソミソに言われてるのはある意味新鮮
まあ彼の人間性に興味を覚える日本人はおらず、幕府との外交や帝政期の施策しか見てなかったということなのかもしれんけど
今で言う「ポピュリスト」って感じ
国民から人気があって人気が取れるような政策をするけど、冷静に見れば支離滅裂で教養のある層からは嫌われる
名前とは呪いのようなものでしょうね。名前のような人物になれるはずもないのに、その名前に求められる役割を期待されてしまいますから。
ナポレオン三世はスケジュールにうるさいってところで発達障害あるんじゃないかって話聞いたことあるけどこれ見たらたしかにそうだったのかもしれない
まあもちろん診断したわけじゃないから決めつけてはいけないけど
パリ改造とかいう世界史に煌めく成果
ひっどいタイトルで草
いわゆる、普通の人だったのでは??
自分がその立場だったら、その程度も出来たかどうか。
大事だと思うのは、過去の歴史に学ぶこと ですかね。
文字が読めないから名前だけで票が集まる昔のフランス、
文字が読めるのに名前だけで票が集まる今の日本。
財産を相続しては女とギャンブルに使いまくったのに、
金と女が付いてくるのがすごいっす。
息子さんの運までこの人が使っちゃった気がするっす。
内政面は再評価論もあるんだけど
対外政策は残念だね
マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で取り上げたのも流石の嗅覚ですね。これほどまでに俗物的な人物が社会主義を権力者の立場としてはじめて取り入れたわけですから、それを徹底的に研究したのも納得です。
ナポレオン3世に勝利したビスマルクもヴィルヘルム2世と対立して失脚しました。
ティエールの見かけが中尾彬ソックリやったw
「ナポレオン」の名を持っていた事が彼を皇帝にもしたけど同時に不幸にもしたんだよね。いや金と女性には一生困らなかったから不幸とも言い難いけども
ただ普仏戦争はしょうがないよ。外交はビスマルク、軍事は大モルトケの時代のプロイセンが相手なんて運が悪いとしか…
皇帝と民主主義って、戦前日本の一部が夢見ていた状況じゃないっすか
なんか嫌いになれない人だな
なんか フランスの指導者というのは 当たり外れの振れ幅が大きいよね
ドイツもそうなんだよなぁ
日本には指導者いない気もしますが、、、
軍事を任せられる将軍や参謀が、ダブーやベルティエみたいな人たちがいたら結構な大政治家だったかもしれません。
パリ「ナポレオン三世が来るまではものすごく臭かったんですよ」
世界史でナポレオン3世についてはほんの少しだけしか教わらなかった記憶がある。この動画で彼の「しくじり」や「ある意味での功績」についてだいたい学ぶことが出来たのがよかった。結局彼は「本能的に思いつきで行動する」タイプで「ナポレオン」のネームヴァリューだけで名を挙げているような人物だったわけなのね。
ビスマルクに負けた人だ
ビスマルク「お前が弱いんじゃない。俺が強すぎるだけだ。」
脱獄のエピソードはどちらかと云うとアニメのルパン三世みたい。
皇帝としてやらかしは多いけど悪いやつではない感はある
歴史のチャンネルは数あれど、このチャンネルの深さに敵うチャンネルは、そうそうないでしょうね。
ナ3「私、失敗しかしないんで!」